フィリピンの政党
フィリピンの政党(フィリピンのせいとう)では、フィリピンの政党を挙げる。

■ラカス

フィリピン大衆党

フィリピン民主の戦い

■民族主義者国民連合

■自由党


フィリピンの地方と州
地方行政の最上位単位は、州と公認都市である。州と都市の数は、2003年12月時点で、州が79、公認都市が61。これらは、17の地方にグループ分けされる。


フィリピンの政治
大統領は、国家元首であり、行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年。

議会は、上院と下院の両院制(二院制)。上院は、24議席で任期6年。3年ごとに半数改選。下院は、憲法上は250議席以下と規定されているが、現在は214議席。20%を政党別の候補者リストから、残りを小選挙区制で選出。任期は3年。次の選挙は、2007年。アロヨ政権は現在の大統領制から議院内閣制へ、両院制議会から一院制へ移行する憲法改正を行う予定。


フィリピンの歴史3
しかし、アメリカは、スペインに勝利した後、フィリピンを植民地とする。その後フィリピン議会議員M・ケソンの尽力で、米国議会は1916年ジョーンズ法でフィリピンに自治を認めた。1934年米国議会はタイディングス・マクダフィー法で十年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾しフィリピン自治領に移行した。第二次世界大戦中に日本が占領、1943年にラウレルを大統領として独立(第二共和国)。1945年の日本敗戦に伴い米領に復帰。1946年、独立(第三共和国)。独立後もアメリカの影響が強く、米軍に基地を提供したが、米軍のアジア駐留軍縮小およびピナトゥボ火山の噴火にともなう基地機能の低下により、米軍はフィリピンから撤退した。戦後はマルコス政権が長く続いたが、民衆の不満があり政権は倒れた。


フィリピンの歴史2
植民地時代にローマ・カトリックへの改宗が進み、領民を労役に使う大地主たちが地位を確立し、民衆の多くはその労働者となった。支配者であるスペインに対する反抗は幾度となく繰り返されたが、いずれも規模の小さな局地的なものであり容易に鎮圧されてしまった。独立運動が本格的になるのは、19世紀末、フィリピン独立の父ホセ・リサールの活躍によるところが大きい。1898年、米西戦争勃発により、アメリカ合衆国はエミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため支援。6月12日、独立宣言がなされる。


フィリピンの歴史1
最初は黒い肌のネグリト人が、続いて南から来たマレー系の人々がフィリピン一帯に広がった。スペイン人来航直前の頃は中国や東南アジアとの交易で栄えイスラム教が広まったが、各領主は統一した国家を作るまでには至らなかった。1521年、セブ島でマガリャンイス(マゼラン)殺害。1565年にはスペインのミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を征服したのを皮切りに、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を含む諸島の大部分がスペインの領土となった。



フィリピンの国名
正式名称は、Republika ng Pilipinas
(フィリピノ語: レプブリカ ナン ピリピーナス)、
Republic of the Philippines (英語: リパブリク オブ ザ フィリピーンズ)。

略称は、Pilipinas(フィリピノ語)、Philippines (英語)。

日本語表記による正式名称の訳は、フィリピン共和国、通称はフィリピンである。かつてはフイリッピンという表記もなされていた。漢字では、比律賓と表記され、比と略される。

国名は、1542年に、スペイン皇太子フェリペ2世の名から、フィリピナス諸島と名づけられたことに由来する。



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